
誰かが言っていました。
世界は中立だと。
誰かが言っていました。
あなたのフィルターによってあなたの世界は作られているのだと。
もちろん、それが全てではありません。
どうしても、理不尽で、どうしても、自分の力の及ぶ範囲外で自分を苦しめるものは存在していると思います。
しかし、ほとんどのことは、あなたのフィルターによって解釈されています。
そう、言うなれば、あなたはあなた自身の色でできた色眼鏡をかけて、世界を見ているのです。
本日書くのは、事実と解釈についてです。
事実と解釈には、天と地ほどの差があります。
しかし、多くの人は、多くの事実をすっ飛ばし、”解釈”しているように見受けられます。つまり、物事に対して、いきなり主観が入ってしまうということです。
例えば、僕はトマトが嫌いです。でも、あなたはトマトが好きだとします。すると、トマトを見たときに、事実でいうとトマトが存在しているだけなのに対し、主観が入ると、僕にとっては、嫌いなものリストにカテゴリー分けされ、好きな人にとっては、好きなものリストにカテゴリー分けされます。
とっても極端な例ですが、言いたいことをめちゃくちゃ簡潔にいうとこんな感じです。
なので、あなたは世界に存在しているものを自分のフィルターをかけて見ているのです。相当感情がなくて、めっちゃ冷めてて、冷酷人間みたいな感じの人だったらめちゃくちゃニュートラルに世界を見れているかもしれませんが笑
なので、悩みとかも色々考えて見ると、あれ、自分で解釈しちゃってたかなって時が多々あります。例えば、今日Aくん僕に対して冷たかったな、嫌われちゃったかな、とか思ってても、実は、昨日Aくんめっちゃ体調悪かったとか、考え事していたとかは充分にありえるのです。
かといって解釈は必ずしも悪いわけではありません。
星の王子さまにもこんなワンシーンがありました。
(星の王子さままだ読んでない方は )
星の王子さまはもともと自分の惑星に住んでいて、その小さな惑星に一輪だけ咲く花を愛していました。しかし、冒険欲を抑えきれず、その花を惑星に置き去りにし、様々な惑星を周り、地球にたどり着きます。そして、地球で、全く同じ種類の花畑を見つけ、自分の愛した花と同じ花が数百とあることに非常にショックを受けます。
僕は、すごくショックだったんだと語る王子さまにたまたま巡り合わせたキツネがこう語りかけました。
「たくさんの花を見て、君がその全ての花を君の惑星の愛した花と同じくらい大切に思うかい?きっと違うはずだよ、君が大切に思っているのは、君が同じ時間を過ごし、世話をするのに時間をかけた君の惑星の花一輪だけのはずだよ。ここで見た花は、君にとって、なんの思い出もない、ただの花さ」
(うろ覚えで書きました、多少僕の主観が入ってるかもしれません、ご了承ください。ちゃんとした文を読みたい方は
)僕は、この本を読んだときに、事実から、自分のフィルターをかけて主観的に見るのって素敵だなと思いました。
なので、何か迷った時とか、考える時があったら、
何が事実で、何が解釈なのかな、と客観的に見て見るのも一つの手かもしれませんね。